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清張はいかにして国民的作家になったのか ?!
新進作家が地位と名誉とカネを手に入れ「現代の英雄」になるためには、マスコミの王者といわれた新聞で連載小説をヒットさせるのが近道だった。特に新聞が圧倒的存在感を示した1950年代は、そうであった。清張初の新聞小説「野盗伝奇」(1956年)は、共同通信の配信を通じて地方紙の夕刊に掲載された。新聞小説は掲載が夕刊か朝刊か。地方紙かブロック紙か、それとも全国紙かによって作家の成否を分けたと著者は分析する。読売新聞で1960年に連載が始まる「砂の器」により、清張は「現代の英雄」に大きく近づいた。とはいえ、全国紙から与えられた紙面は夕刊にすぎなかった。1000万人の読者数を誇るのは夕刊ではなく、朝刊だった。
清張が超えなければならない壁は三つあった。一つは、全国紙の朝刊を占めていたベテラン作家たち。残る二つとは…。
小説のうち今も最大の読者数を持つ新聞小説。その新聞小説と作家の深い関係に迫る著者の考察力は、学術書の領域を飛び越え、清張の推理小説に共通するスリリングさと展開力にあふれている。
早稲田大学大学院教育学術院で博士(学術)取得。現在、中国・上海の復旦大学外文学院日語語言文学系の副教授。
序章 松本清張と新聞小説の一九五〇年代
一 時代が変わっても
二 松本清張と読者をつなぐメディア
三 新聞小説の黄金時代
四 新聞小説という問題
五 松本清張の新聞小説観
六 清張、新聞小説へ向かう
第一部 新聞小説家と私小説家
第一章 マスメディアの中の小説家――新聞小説家としての石川達三
一 石川達三の「妖気」
二 「望みなきに非ず」と新聞小説の戦後
三 「悪の愉しさ」から「四十八歳の抵抗」へ
四 文化人としての新聞小説家
第二章 新聞小説家の意見――石川達三の「自由」談義
一 石川達三の「自由」論
二 「自由の敵」論争
第三章 ブームとなった私小説家――川崎長太郎の読者戦略
一 なぜ川崎長太郎だったのか
二 私小説家・川崎長太郎
三 私小説家の読者戦略
四 「硬太りの女」と『鍵』
五 石川達三の読者/川崎長太郎の読者
六 松本清張へ
第二部 清張、新聞小説を書く
第一章 新聞小説第一作――「野盗伝奇」論
一 「乱波」の物語
二 「野盗伝奇」を追いかけて
三 新聞小説としての「野盗伝奇」
四 新聞小説の読者と松本清張
五 メディアミックスの中の「野盗伝奇」
六 「野盗伝奇」以降の新聞小説における清張
七 「黒い風土」へ
第二章 清張は新聞小説をどう書いたのか――「黒い風土」の執筆風景
一 清張の忍耐力
二 「黒い風土」の原稿
三 速記者の存在
四 訂正記事
五 新聞小説における挿絵画家の存在
六 絵組み
七 挿絵画家との争闘
第三章 ブロック紙の読者への戦略――新聞小説としての「黒い風土」
一 求められた地方性
二 「黒い風土」における「地方の実景」
三 小説における職業という記号
四 欲望された記者
五 「黒い風土」の時代の記者
六 新聞社の週刊誌編集部
七 社会部記者と週刊誌記者
八 新聞を読む新聞小説
九 地方紙の一九五九年
十 『黄色い風土』へ
第三部 「砂の器」を読む
第一章 全国紙の新聞小説への挑戦――「砂の器」のたくらみ
一 ベストセラーとなった「砂の器」
二 サスペンスの語り、そして生活のリアリズム
三 新聞を読む新聞小説
四 引用の小説、「砂の器」
五 新聞小説に引用される新聞の言説
六 読者の世界/今西の世界/表象の世界
七 「砂の器」のその後
第二章 〈眼〉から〈耳〉へ――「砂の器」を聴く
一 松本清張における〈音〉
二 「砂の器」とミュージック・コンクレート
三 〈眼〉から〈耳〉へ
第三章 「砂の器」以降の清張、あるいは新聞小説についての覚書
一 全国紙の朝刊へ
二 二人の〝社会派〟小説家
三 「落差」の反響
四 ベストセラー作家を超えて
終わりに
あとがき
索引
英文要旨